ドライフラワーの歴史
昨日は台風。大きな災害もなく、良かったなと思います。
涼しくなり、彼岸花が咲き誇り、金木犀の香りもして秋を感じています。
そんな本日は、ドライフラワーの歴史について書こうと思います。
ドライフラワーの歴史はとても古いんです。
古代エジプトのピラミッドから見つかり、王のミイラには首のあたりに、ドライフラワーで作った花冠が置かれていたそうです。
また、ギリシャ神話の中にも、花を愛する王の娘が恋人から届く花がすぐ枯れてしまうのを悲しみ花々を自分で乾燥して長く保存する方法を思いつき、いつまでも大切にしたという話もあります。
日本では『花壇地錦抄』で初めてドライフラワーの作り方が記録されています。
『花壇地錦抄』は、江戸・染井(現在の東京・豊島区駒込周辺)の園芸家・三之丞伊藤伊兵衛(さんのじょういとういへえ)が元禄8年(1695年)に版行した総合的園芸の実際書です。
英語ではdried flower。
枯れても色や花姿の変わらないものはeverlasting flower(乾燥花,永久花)と呼ばれています。
リースは生命の永遠のしるし
リース(wreath)は短いガーランドを円形にしたものを言います。
古代ギリシャ人が初めに考えたリースは頭にかぶる花冠(crown)でした。
花冠といっても葉の冠も含み、宗教儀式のほかに、人間中心の民主主義社会では優秀な知識人や競技や戦いの勝利者は存分に褒め称えられ、その権威づけのために花冠が授けられました。
生命力が強い常緑樹の冠は最も価値があるとされ、栄誉の印としてゲッケイジュやオリーブ、ナツメヤシ、ギンバイカを使っていたことも明らかにされています。
やがて、ギリシャ末期からローマ時代になると一般の人まで花の利用は広がり、社交用にバラやスミレ、ユリなど華やかで香りのいい花の冠が作られ富裕層は冠を編む職人を何人も屋敷に雇っていました。
ドアや壁に掛けるリースは、結婚や出産を知らせるドアリース、船出のリース、墓のリース、宴会のリース、贈答品にもされ、さまざまな機会に飾られていました。
この時代のリースの意味合いは魔除けであったり、神の依り代であったと考えられています。
リースもガーランドと同じくローマ帝国の崩壊後、キリスト教会によって排斥されましたが中世の終わり頃には認められるようになりました。
クリスマスリースは、ローマ時代に太陽神を祝う冬至祭で強い生命力を感じさせる常緑樹のリースを魔除けに飾ったことが起源になっています。
教会は、それをキリスト教的に解釈して「常緑はキリストの命の強さを円形は命の永遠を表す」としました。
葬儀のリースは、十九世紀半ばまでは常緑でしたが、花産業の発展で二十世紀初めからは華やかな色花も使われています。
祝いのリースと区別がつきにくいけれど、生花の大きめのリースはだいたい葬儀用です。
リースの端正な円形は追悼式でよく見るようなフォーマルな造形ですが、素材によっては歓迎や季節の行事を表すカジュアルな飾りにもなります。
吸水性スポンジや蔓、ワイヤーなどのリースベースが売られているので便利で用途も広いのです。
リースのもともとのはじまりだった花冠は、ギリシャ・ローマ時代に全盛を終えた後、十四世紀のパリでギルド(職人組合)を結成するまで社交界で盛り返しましたが、貴族たちは花よりも宝石の冠に価値を置くようになり廃れてしまいました。
現在は、花嫁の髪飾りの花輪(サークレット circlet)とマラソン競技の優勝者に捧げるゲッケイジュの冠として見られるくらいです。
スワッグは懐かしく素朴な飾り
スワッグ(swag)は、イギリスに十六世紀に入ってきた北欧の言葉で「揺れるもの」とか「垂れ下がるもの」を指す言葉。
十八世紀末頃の新古典主義時代に教会の祭壇や柱、家の壁に飾った花束をスワッグとも呼ぶようになりました。
二十世紀になるとスワッグはフローリストの仕事になり、花持ちを良くするためにワイヤー製のフレームにミズゴケを詰めたベースが飾る場所に合わせて作られました。
用途はクリスマスの祭壇や暖炉飾りが多かったそうです。
時代が進むと、生花のベースは吸水性スポンジに替わり、ラフィアをベースにしてドライフラワーやアーティフィシャルな素材を使ったスワッグも作られました。
トウモロコシやムギ、ハーブのスワッグ、クリスマスには松ぼっくり
スワッグは、身近なもので、懐かしく感じる素朴さがあります。
時代の需要に応えて、自由に形を変え現在に至っています。
あなたも好きな花、好きなデザインで
フラワーアレンジをしてみてはいかがですか?
この記事へのコメントはありません。